休戸区と花場区は自分たちから進んで公害防止協定を求めたわけではありません。組合側が一方的に押し付けてきたわけだから協定を拒否するのは当然のことです。他の地区もこんな協定書は、自信を持って拒否しましょう。
休戸区と花場区は地元中の地元だよね。組合が言う「地元区」には北杜市の大武川区も入っているが、大武川区も協定の調印を拒んでいるようだ。そんな地元の区が組合が提示した協定書に調印しないというなら、いわゆる「関係区」も結ぶわけにはいかないだろうね。先日の若宮公民館で、前衆議院議員で弁護士でもある木島日出男先生は協定書についてゴミ弁連会長の梶山弁護士とまったく同じ意見を述べたね。要するに「こんな具体性のない協定を結んでも、安全の保障としてまったく役に立たない」と言うことでしたが、二人の法律の専門家が「まったく役に立たない」と判断した協定書を作成した組合は困ったもんだ。矢崎組合長はいつも「住民とのキャッチボール」を言っているが、ろくに協議もせずに中身のない協定書を突き付けて「サインして返してよ」と言うのはキャッチボールと言えるだろうか。落合地区の住民は環境の悪化を真剣に心配して協定書締結を要求したが、組合は誠意を持ってそれに応えようとしているだろうか。むしろその要求を逆手にとって、まったく安全を保障しない協定書に急いで調印させ、「地元の理解を得た」と言う結論に持ち込もうとしているとしか思えない。まったくひどいまねだ。
休戸地区に引き続いて、花場地区という最も地元と言える二つの区が、公害防止協定の調印を拒否してくださったことに、拍手を送りたいと思います。心から感謝申し上げます。 私は富士見町に縁あって住むようになって、とても愛着と持っており、一生住みたいと思っております。八ヶ岳、南アルプスを望み、天気が良い日は近所から富士山が見える、素晴らしい環境です。特に甲斐駒ケ岳の白い姿は、山の団十郎と呼ばれるにふさわしいですよね。家の周囲は、まさに里山の景観で、ご近所とお惣菜をおすそ分けしあったり、カギをかけずに外出する家もあるような、古き良き日本が生きている小さな集落に住まわせていただいています。こちらに来てから、2週間に1回、美味しい湧き水を汲みに行っています。湧き水を汲むところは神社になっていて、まさに神様の水という雰囲気で、汲むときには思わず「神様ありがとうございます」と言ってしまいます。また、この町で無農薬で作っておられる野菜を売っていただいて食べており、体調も良くなりました。これまで、東京、千葉、大阪、広島…色々な所に住んできました。でも、富士見町が一番好きです。冬は寒いですが、薪を焚けば、体が芯から温まります。友達が家に来ると、「いいところだねえ、働く気がしなくなるねえ」などと言います。ただ、縁側で日向ぼっこしているだけで、幸せが体の隅々まで満ちてくるとき、今住まわせていただいていることを、本当にありがたく思います。 もし灰溶融炉が出来て、有害物質が出て、大気が汚染されれば、雨水、飲み水も、農作物も汚染されるでしょう。この町の自然の恩恵を、自分たちの代で壊してしまいたくないのです。自然や健康は、一度壊したら取り返しがつかないものです。 灰溶融炉に賛成される人は、「代替案を出せ」と言います。しかし、「本来ごみが増えすぎて灰の処分場が足りないのだから、ごみ減量に全力を尽くすことが本筋であり、灰溶融炉こそが、最悪の代替案だ」という意見を、ある方のメールで読んだとき、その通りだと思いました。生ごみは堆肥化し、きれいな紙やプラスチックを分別してリサイクルに回せば、8割減量も夢ではありません。ゼロウエイスト政策」という素晴らしいやり方もあります。灰は、技術が発達して安全にリサイクルできる時代まで、倉庫のようなところに保管していてもいいではないでしょうか?カナダのごみ政策の先進地では、プラスチックは燃やしても埋め立てても有害物質が出るので、処理せずにそのまま借り置きしていると聞きます。目に見えるところに保管庫があれば、ごみ減量にも本気になるというものでしょう。中途半端な技術で、灰溶融炉でスラグにして、道路の舗装にばらまいて有害物質が出るよりは、ずっと良いと思います。廃棄物の形を変えて、ただ見えないところにやれば済むという考え方では、本当の解決から遠ざかるばかりです。プラントメーカーは大喜びでしょうが、高い税金を取られ、環境を汚される住民は、実は何も良いことはないと思います。もし、灰の保管庫ができるならば、それを眺めて暮らしながら、ごみ減量の努力をするのが、自分の世代のツケを払うということだと思います。私は灰溶融炉に反対する代わりに、そのような生活を喜んで受け入れたいと思います。 この問題をきっかけに、富士見でもごみ減量政策が進むことを願っています。また、自分にできることをして行きたいと思います。
コメントを投稿
3 件のコメント:
休戸区と花場区は自分たちから進んで公害防止協定を求めたわけではありません。組合側が一方的に押し付けてきたわけだから協定を拒否するのは当然のことです。
他の地区もこんな協定書は、自信を持って拒否しましょう。
休戸区と花場区は地元中の地元だよね。組合が言う「地元区」には北杜市の大武川区も入っているが、大武川区も協定の調印を拒んでいるようだ。そんな地元の区が組合が提示した協定書に調印しないというなら、いわゆる「関係区」も結ぶわけにはいかないだろうね。
先日の若宮公民館で、前衆議院議員で弁護士でもある木島日出男先生は協定書についてゴミ弁連会長の梶山弁護士とまったく同じ意見を述べたね。要するに「こんな具体性のない協定を結んでも、安全の保障としてまったく役に立たない」と言うことでしたが、二人の法律の専門家が「まったく役に立たない」と判断した協定書を作成した組合は困ったもんだ。矢崎組合長はいつも「住民とのキャッチボール」を言っているが、ろくに協議もせずに中身のない協定書を突き付けて「サインして返してよ」と言うのはキャッチボールと言えるだろうか。落合地区の住民は環境の悪化を真剣に心配して協定書締結を要求したが、組合は誠意を持ってそれに応えようとしているだろうか。むしろその要求を逆手にとって、まったく安全を保障しない協定書に急いで調印させ、「地元の理解を得た」と言う結論に持ち込もうとしているとしか思えない。まったくひどいまねだ。
休戸地区に引き続いて、花場地区という最も地元と言える二つの区が、公害防止協定の調印を拒否してくださったことに、拍手を送りたいと思います。心から感謝申し上げます。
私は富士見町に縁あって住むようになって、とても愛着と持っており、一生住みたいと思っております。八ヶ岳、南アルプスを望み、天気が良い日は近所から富士山が見える、素晴らしい環境です。特に甲斐駒ケ岳の白い姿は、山の団十郎と呼ばれるにふさわしいですよね。家の周囲は、まさに里山の景観で、ご近所とお惣菜をおすそ分けしあったり、カギをかけずに外出する家もあるような、古き良き日本が生きている小さな集落に住まわせていただいています。こちらに来てから、2週間に1回、美味しい湧き水を汲みに行っています。湧き水を汲むところは神社になっていて、まさに神様の水という雰囲気で、汲むときには思わず「神様ありがとうございます」と言ってしまいます。また、この町で無農薬で作っておられる野菜を売っていただいて食べており、体調も良くなりました。これまで、東京、千葉、大阪、広島…色々な所に住んできました。でも、富士見町が一番好きです。冬は寒いですが、薪を焚けば、体が芯から温まります。友達が家に来ると、「いいところだねえ、働く気がしなくなるねえ」などと言います。ただ、縁側で日向ぼっこしているだけで、幸せが体の隅々まで満ちてくるとき、今住まわせていただいていることを、本当にありがたく思います。
もし灰溶融炉が出来て、有害物質が出て、大気が汚染されれば、雨水、飲み水も、農作物も汚染されるでしょう。この町の自然の恩恵を、自分たちの代で壊してしまいたくないのです。自然や健康は、一度壊したら取り返しがつかないものです。
灰溶融炉に賛成される人は、「代替案を出せ」と言います。しかし、「本来ごみが増えすぎて灰の処分場が足りないのだから、ごみ減量に全力を尽くすことが本筋であり、灰溶融炉こそが、最悪の代替案だ」という意見を、ある方のメールで読んだとき、その通りだと思いました。生ごみは堆肥化し、きれいな紙やプラスチックを分別してリサイクルに回せば、8割減量も夢ではありません。ゼロウエイスト政策」という素晴らしいやり方もあります。灰は、技術が発達して安全にリサイクルできる時代まで、倉庫のようなところに保管していてもいいではないでしょうか?カナダのごみ政策の先進地では、プラスチックは燃やしても埋め立てても有害物質が出るので、処理せずにそのまま借り置きしていると聞きます。目に見えるところに保管庫があれば、ごみ減量にも本気になるというものでしょう。中途半端な技術で、灰溶融炉でスラグにして、道路の舗装にばらまいて有害物質が出るよりは、ずっと良いと思います。廃棄物の形を変えて、ただ見えないところにやれば済むという考え方では、本当の解決から遠ざかるばかりです。プラントメーカーは大喜びでしょうが、高い税金を取られ、環境を汚される住民は、実は何も良いことはないと思います。もし、灰の保管庫ができるならば、それを眺めて暮らしながら、ごみ減量の努力をするのが、自分の世代のツケを払うということだと思います。私は灰溶融炉に反対する代わりに、そのような生活を喜んで受け入れたいと思います。
この問題をきっかけに、富士見でもごみ減量政策が進むことを願っています。また、自分にできることをして行きたいと思います。
コメントを投稿